大野城跡

おおのじょうあと

宇美町・太宰府市・大野城市にまたがる四王寺山に所在する古代の山城。
水城が造られた翌年の665年に大宰府の北の守りとして南の備え基肄城(基山)と共に築かれました。朝鮮半島から渡来した技術者の指導で造られ、その形は約8kmにわたる土塁や石垣で山頂部を囲み、その中に建物を建てました。土塁と石垣で囲まれた城内には、建物跡(役所的機能をもつ建物や食糧庫・武器庫など)、城門、水場(井戸・池)、水門などが造られています。現在も倉庫跡と思われる磯石が約71棟分、山中に点在。
「万葉集」にも歌われた大野山は、後に四天王が祀られ、その名が山の名として今に続いています。

種別:国指定特別史跡
築 : 665年

基本情報

住所 〒818-0100 福岡県糟屋郡宇美町大字四王寺
電話番号 092-934-2370(宇美町役場)
営業時間 4月1日~9月30日 9:00~18:00
10月1日~3月31日 9:00~17:00
定休日 月曜日(祝日の場合は、その後の直近の平日)、12月29日~1月3日
駐車場 10台
アクセス情報 西鉄バス「県民の森入口」から約4km(徒歩約60分)
西鉄「太宰府」駅から約5km(徒歩約70分)
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※施設情報が変更される場合があります。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。

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大野城跡の築城には、日本の存亡に関わる大事件が背景にありました。660年、当時日本と友好関係にあった百済が中国の唐の援助を受けた新羅に滅ぼされてしまいました。百済の遺臣から救援を求められた倭(当時の日本)は663年、百済を救援するために朝鮮半島に出兵します。この「白村江の戦い」で、倭の軍は唐・新羅連合軍に敗れてしまい、大陸から連合軍が攻めてくるという危機が現実に迫り、この一大事に立ち上がったのが、大化の改新でおなじみの中大兄皇子(天智天皇)。664年、各地に沿岸警備のための防人と烽火を置き、大宰府を守るため水掘と城壁からなる水城を造りました。そして665年、大城山(おおぎやま)(当時)に大野城が築城されたのです。
古代の人々がここまで大規模なものを築いたかと思うと、そのパワーには圧倒されますね。 中世には、山腹に岩屋城が築かれ、1586年、島津氏と大友氏の攻防に際し、立花宗茂の実父、高橋紹運が家臣らと籠城、討死しましたが、大友側救援に当たった秀吉軍が九州平定を成し遂げたのです。

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エリア
福岡エリア
カテゴリー
史跡・古墳・遺跡

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