鳥飼八幡宮

とりかいはちまんぐう

その昔、神功(じんぐう)皇后が胎内の子ども(後の応神天皇)の将来をお祝いした地・鳥飼村に社を建てたのが始まりといわれる鳥飼八幡宮。お祓い、厄除けなどの特別な日をはじめ、日々の生活で心のよりどころとなる場所を担っています。また、ここは右殿に御祭神として玉依姫尊(たまよりひめのみこと)をお祀りしており、「縁結びの神」としても有名。神前結婚式や、神社としては珍しい「縁結びの宴」も催されています。

社務所前に鎮る千年蘇鉄は、神功皇后の従者・武内宿禰が旅の安全と神功皇后の「胎内の御子」の無事なご出産を祈願するとこの地に蘇鉄が生えた、と伝えられています。そのため、願い札に祈願し蘇鉄の葉に下げると願いが叶う、と厚く信仰されているのだそう。武内宿禰が400年生きたという伝説から、この蘇鉄のところで長寿を願うと長生きできるとの言い伝えもあります。また八幡宮境内末社、天満宮右殿に鎮座されている「なでうし」は、病気・けが等自分の体の不調な部位と同じところをなでる事で、病気平癒の効果があると言われています。

基本情報

住所 〒810-0054 福岡県福岡市中央区今川2-1-17
電話番号 092-741-7823(鳥飼八幡宮)
営業時間 社務所は17時で閉門します
定休日 無休
駐車場 80~100台
アクセス情報 福岡市地下鉄空港線「橋本駅」からタクシーで約5分
ウェブサイト 関連サイトはこちら

※施設情報が変更される場合があります。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。

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創建は約1700年前と言われ、このような由緒が残っています。神功皇后が新羅から凱旋した際、姪浜に上陸し鳥飼村平山に着きました。この時、村長をはじめ鳥飼氏一同が夕の御膳を差し上げたところ、皇后は大変喜び、胎内の皇子の将来を御祝いして近臣等に自らお酒をすすめ、この地に宿泊されました。後に村長になった人物の子孫が神功皇后ゆかりの地に御社を建てて、「若八幡」と名付けて祀ったのが鳥飼八幡宮の発祥となりました。
南北朝後、醍醐天皇の時代(14世紀)に鳥飼の地が戦場となり、社殿は炎上しました。御神体は無事でしたが、旧記、古文書、宝物類は焼け失せてしまいました。その後再建されましたが、天正の時代(16世紀)に御笠郡四王寺山岩屋城主の高橋紹運(たかはしじょううん)が率いる軍に夜襲を受け、戦火によって社殿が再び焼失。年中行事の祭典も途絶えてしまいました。
慶長5(1600)年、黒田長政公が筑前の国主となり福岡城を築き、慶長13(1608)年に鳥飼村八幡宮御社地に長政公の別邸を建てることになり、鳥飼浜松林の中(現在の鎮座地)に仮宮を建てて、遷宮しました。その後、寛永2年(1625年)鳥飼氏氏子により新たに神殿を建立しました。

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エリア
福岡エリア
カテゴリー
神社・仏閣

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